Pippi 

Immer noch ein starkes Mädchen
今も強い女の子である

1945 erschienen in Schweden zum ersten Mal Astrid Lindgrens unvergleiche Geschichten rund um Pippi Langstrumpf - bis heute erfreuen sie die Herzen der Kinder.

erschienen → 動詞 erscheinen の過去形、しかも複数形であることが一見しただけで分かります。動詞が複数形ということは主語の名詞も複数形である筈と推測できます。それは何なのか?

複数形の名詞とは? Astrid Lindgrens unvergleiche Geschichten。そう、煎じ詰めれば、Geschichtenですね。Geschichten は複数形です。じゃあその単数形は、性別は? das Geschichte と覚えておきます。

unvergleiche → この単語、形容詞であることは名詞Geschichten の前に来ていることからも了解できるでしょう。で、その意味はなんでしょうか。よ~く見ていると何となくその仕組が見えてくるかのようでしょう。

un と vergleiche、 un は否定的な意味が含まれている、 vergleiche は動詞の vergleichen と親戚同士(つまり動詞)と直接関連性があるように見えます。vergleichen の意味を知って、それを否定している un が付いていることで同形容詞には否定的な意味が込められていると少なくとも読み取れるしだいですよね。


zum ersten Mal  → この3語は束にして、そのまま覚えてしまいます。ドイツ語の熟語とでも言えるでしょう。そのまま覚えてしまえば、次回、応用が利く筈。初めて、一度目、といった意味ですが、二度目、とドイツ語で言いたいときには、そう zum zweiten Mal, 3度目、zum dritten Mal といった具合に直ぐに口に出てくるでしょう、また直ぐに書けるでしょう。


rund um Pippi Langstrumpf  → rund ここでは前置詞として使われています。なになにについて、なになにを巡ってといった意味。で、これは前置詞としてだけでなく形容詞としても使われることもある。前置詞であるば形容詞でもある。形容詞としての意味は?

bis heute erfreuen sie die Herzen der Kinder. → ドイツ語の倒置文ですね。ドイツ語には倒置文が普通にたくさん見いだされますね。一つの文の中で何をかを強調したいときには文頭にその要素を持ってきて注目させようとする。ここでは bis heute とこの語群を文頭に出してきて、今日まで、今日にあっても、と強調しているように思えないこともない。この語群(二語)を文頭に持ってこなくとも言いたい文は書けるのでしょうが、筆者の意識の中には文頭に持ってくることで表現したいことがぴったりと決まるとおもっていることでしょう。

erfreuen は動詞、現在形で、しかも複数形。つまり主語に該当する語も複数形になっている筈。その主語は何? sie ですね。 この sie ってなんですか。代名詞、何の代名詞ですか。複数形の代名詞ですよね。それは Geschichten に決まっているでしょう。

die Herzen der Kinder この4語が主語ではないのか、と思ったかもしれませんが、ドイツ語文では動詞が現れれば普通、主語が現れる、続くというのが感覚的に求められるので、動詞の erfreuen の主語がこの4語とはちょっと考えられません。じゃあ、この4語は文法上では何と称されるのでしょうか。多分ご存にですよね、目的語です。動詞の erfreuen は目的語、または4格相当語を”要求”する、そんな動詞の一つとなっています。
つづく

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posted by hiro in Austria at 00:17ウィーン ☀Comment(0)Veronica Ferres

Veronica Ferres: 女優業に自信

Ferres endlich selbstbewusst
vom 19.05.2006 http://www.nachrichten.at/weltspiegel/446377              
Die deutsche Schauspielerin Veronika Ferres (40) erlebt ihren Beruf als staendiges Risiko: "Ich gebe zwar immer mein Bestes, aber jeder Film ist ein Wagnis und haette das Ende der Karriere sein koennen." Zugleich raeumt sie ein, dass es ihr lange an Selbstbewusstsein gefehlt habe. "Blicke ich auf meine Arbeit zurueck, dann kann ich heute erstmals sagen, dass ich selbstbewusst bin", sagt Ferres, die   zuletzt im Film  "Klimt" in den Kinos zu sehen war.

フェーレス、やっと自分が求めているものが分かる
                    
ドイツの女優、ヴェロニカ・フェーレス(40)さんは自分の職業は常に危険がつきまとっているものとして生きている。

「わたしは自分のベストをいつも尽くしますが、それでも毎回の映画(に出演すること)はひとつの冒険ですし、(毎回が)自分の女優業の終りであり得たかもしれないのです」
        
しかしながら同時に、彼女、同時に長い間自分には自信が欠けていたという見方については否定する。同時に彼女、自分には長いこと自信が欠けていたと認める。「自分の仕事を振り返ってみると、今日、初めて自分で言うことができます。――自分が何を求めている(いた)のか、わたしは分かっている(自分には自信があるということ)」とご本人。
        
彼女の最近の様子は映画館で映画「クリムト」http://www.klimtderfilm.at/ の中に見出すことが出来た。              
   
     
     
     
           
     
   
   
   
   
    
selbstbewusst
   
または Selbstbewusstsein    
   
   
この単語を分析してみますと、 Selbt と bewusst または Bewusstsein で構成されています。
   
   Selbt 自分
   bewusst  意識がある、意識している、
   
   
   自分を意識している、
   自分は何をしているのか分かっている
   自分がしたいのは何なのかちゃんと分かっている 
   
   
ヨーロッパにやって来て、ドイツ語圏で長年暮らすようになってから、人を評する際の言葉として、この単語がよく聞かれることに気が付きました。

よくよくその意味、ニュアンスを感じ取ろうと耳を澄ましていると、これは”褒め言葉”のように読めるし、聞こえるのでした。
   
   
どうも否定的な意味はないようだなあ、と思い至るのでした。
   
わたしの日本語的感覚から言うと、自分のことに意識が行く、所謂「自意識」といういことでしょうか、また「自意識過剰」とか日本語では言ったりもしますが、それとこのドイツ語単語と対応するだろうか、と思いながら読んだり聞いたりしていましたが、どうも対応しないようだ、ということが分かって来ました。
   
   
集団思考社会(日本のような東洋世界?)にあっては「自意識」は一応御法度 とも言えるものですが、個人思考社会(欧米諸国?)にあっては「自意識」は 当然、でも「自意識」が持てないということでいろいろと悩んでいたり、問題 を抱え込んでいるかのようです。、
   
   
selbstbewusst はその人の長所として捉えられているようです。
   
個人社会のヨーロッパ。個人、つまり自分を前面に押し出す社会。それは同時 に、自分の横にいる「個人」が、上にいる「個人」が、下にいる「個人」が何 をやっていようとそれは自分の知っちゃこっちゃない、という姿勢。自分は自分 のやりたいことを心得ている。自分の周りの、他の「個人」が何をやっていようとも自分には直接関係ない。
   
   
   
   
    *     *
     
日本語の独和辞典ではどのように訳語が宛てられているのでしょか、ちょっと関心があります。
   
ということで、手元の古い独和辞典を紐解いてみました。
   
   
   selbstbewusst
   自意識のある、
   自覚している、
   自信のある、
   
   Selbstbewusstsein
   自意識
   自覚
   自信
      (コンサイス独和辞典、第5版)
   
   
selbstbewusst : adj. self-conscious, being aware of one's actions; self-confident, having confidence in one's own abilities, sure of oneself
   
   
   
     *     *
   
この女優さんには注目していました。ドイツのSharon Stone と評する人もいるようですが、、、彼女の発言内容には何か彼女自身の自分についての何か欠けたところを埋め合わせようとしているように感じ取られるのでした。 
   
自分の人生に対する感覚、はっきりとした感覚が把握できていない!?と見て取り、どのような展開になるものやらと、陰ならが観察していました。心理学の領域の問題なのかもしれませんね。
   
自分が女優であることに自信が持てていなかったということでしょうか。
   
   彼女の述懐で女優になるなるための養成学校に受験したが9回ほど失敗したと いう体験談をこのメルマガでも以前、彼女の関する記事として取り上げた覚え がありますが、女優になったあとでも自分の最善を尽くしていた、と言いなが らも、この映画が自分にとっては最後になるかもしれないとも考えざるを得ない、そんな彼女でもあった、らしい。
   
   
   
Selbsbewusstsein これは面白いテーマですね。
   
どうしたら selbsbewusst な自分になれるのか?
Selbstbewusst werden

ちょっとググッったら本国人、専門家たちもいろいろと著しているのですね。
例えば、
これ ↓ 興味惹きそうなタイトル。   
Worauf wartest Du? Selbstbewusst in der Partnerschaft (Perfect)
Waswartestdu.jpg   

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